【30年前のヒーロー】大統領にも称えられた“あるNFL選手の死”
この先は、奇跡体験アンビリー□ボーのナレーション(※各自脳内再生)でお付き合い頂きたい。
1983年、全米が悲しみに包まれた若きスポーツ選手の死を、皆さんはご存じだろうか。
今から55年前、アメリカのテキサス州で男の子が生まれた。
彼の名前はジョー・ディレイニー。
8人兄弟の中で元気よく育った彼は、やがて高校生になりアメフトを始めた。大学でも目覚ましい活躍を見せ、1981年にはドラフト2巡目でNFLのチーフスに選出され、プロのNFL選手となった。
デビューした年にNFL全チームの中で最も長い距離(82ヤード)のタッチダウンをあげ、AFCの最優秀新人賞に選ばれ、プロボール(オールスターゲーム)にも選出された。
翌年は、怪我のため出場は8試合に限られたが、380ヤードを走った。
そして、1983年6月23日、
彼は友人達とルイジアナ州の公園に来ていた。
当時、その公園では建設工事が行われており、深さおよそ6.1メートル、広さ8000平方メートルの窪みに大雨が溜まって巨大な水溜りができていた。
彼は泳いだ経験がほとんど無かったが、水溜りで溺れている3人の子供を助けようと水の中へ飛び込んだ。
1人の子供を救出、もう1人の子供は緊急治療室に運ばれたが亡くなり、彼と残りの1人の子供は警察によって引き上げられたが亡くなっていた。
7月4日、彼の母校の高校で行われた葬儀にはおよそ3000人が参列した。
7月13日、レーガン大統領は彼に大統領メダルを贈ることを決め、「彼は自らの安全を省みず、3人の子供たちの命のために究極の犠牲を払った。彼の行動は他者への思いやりと勇気の最高の形であり、この才能に溢れた素晴らしい若者はアメリカ国民の誇りである。」と語った。
そして後日、副大統領のジョージ・H・W・ブッシュの手によって彼の家族に贈られた。
この年、チーフスの選手達は、彼の背番号である37番をユニフォームに縫い付けてプレーをした。
チーフスのファンは、『37Forever Foundation』という基金を設立し、アメリカ赤十字と共に23年間(2006年に解散)、恵まれない子供たちに水泳を教えるサポートを行った。
チーフスのオーナー、ラマー・ハントも非公式ながら彼の背番号37番を永久欠番としている。
そして2004年、彼はチーフスの殿堂入りを果たした。
現在も、彼を悼む声は後を絶たない。
彼が子供を救い出した公園
The Pond Where football Star, Joe Delaney Died
・ 真のヒーローだね。彼は自分の命と引き換えに子供を助けようとした:(
↑ ああ、本物のヒーローだ。
・ ディレイニーは助けるために飛び込んで、その後生きて戻ってくることは無かった。R.I.P
↑ 俺覚えてるよ。彼のカードを持っていたんだ。すごく楽しい日々でさ、兄貴ともよく彼の話をしてたんだ。誰よりも未来が期待された選手だった。
・ 他の人が誰も飛び込まなかったのがおかしいよ、本当に悲しい。
・ 彼は泳げなかったの?
・ ジョー・ディレイニーのプレーを覚えてる。彼が亡くなった時のことも覚えてるよ。彼がどんな人間だったのか知らなかったんだ。みんな彼がどんな青年だったかあの事故で知ったんだ。彼は素晴らしいフットボール選手だったよ。
Joe Delaney's grave(彼の墓)
・ ちゃんと草を刈って手入れしてやってくれ。
・ ジョーに神のご加護を。
・ 彼は本当に英雄だった。
・ ジョーの冥福を祈る。
The Death of Joe Delaney
・ R.I.P. ジョーは男の中の男だよ、しかもワールドクラスのね。
・ 本当に格好良いよ。頑張ったな。
・ 俺はチーフスファンだ。彼のような男になりたい。
・ 動画の投稿ありがとう。彼の思い出が永遠に残るね。
以上。
咳事典 咳を科学する その咳、大丈夫?危険!
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